明治時代までは須佐之男命が八岐大蛇を退治した剣
「十握剣(とつかのつるぎ)が御神体として祀られていた。
この剣は崇神天皇の時代に大和の石上神宮に移されたとされており、
その後岡山藩主池田光正が山頂にあった小祠を復興し、
次代綱政が社殿・神楽殿を造営した。
明治6年に御祭神を須佐之男命に変更したとみられる。
本宮は社殿裏のやく400mの山頂にあり、背後には禁足地となっている大岩がある。
古代から磐座(いわくら)として信仰されていた。
「十握剣」は須佐之男命が八岐大蛇と戦うために最初から携えていたもので
「草薙の剣」は須佐之男命が退治した八岐大蛇の尾から発見された剣である。
本来の備前一宮は、ここ石上布都魂神社であり、
吉備津彦神社が一の宮と呼ばれ始めるのはずっと後の時代だそうです。
奈良の石上神宮は飛鳥時代の豪族物部氏の氏神であり、
当神社の宮司は物部氏の子孫とのことです。 |