吉備津彦神社

岡山市西部、備前国と備中国の境に立つ吉備の中山(標高175m)の
北東麓に東面して鎮座している。
吉備の中山は古来より神体山として信仰されており、北西麓には備中国一宮・吉備津神社がある。
吉備津彦神社と吉備津神社とも、当地を治めたとされる大吉備津彦命を主祭神に祀り、
命の関係一族を祀っている。

元々吉備の国にあったのは吉備津神社だったが、
吉備津彦神社はこの吉備津神社が分社して造られた神社です。

大化の改新後、この改革で法律の整備の他、地方の国の見直しが行われました。
そして吉備の国は解体され、備中、備前、備後の三地域に分割されました。
吉備の国を守っていた吉備津神社が各地域に分社され、
備中はそのまま吉備津神社、
備前には吉備津彦神社が造られました。

備後には現在の福山市に吉備津神社があります。

 正面参道  随神門  桃太郎像
 手水舎  拝殿  拝殿
 蔡文殿(左側)  本殿  子安神社

 稲荷神社  大吉備津彦命の墓  日本一の大燈籠

昔々、吉備国の鬼ノ城(岡山県総社市)に
温羅(うら)と呼ばれる鬼が住んでいました。

この温羅の支配から人々を救う為、天皇に派遣されてやって来たのが吉備津彦命です。

吉備津彦命は現在の吉備津神社に本陣を構え、温羅との戦いに挑みます。

まず、矢を射るのですが、岩に吸収されて上手くいきません。
そこで今度は2本の矢を同時に放ったところ、温羅の左目に命中した。
左目を射抜かれた温羅は血を流して戦意を失ったが、この流れた血が川となったのが、
この神社の目の前を流れる“血吸川”(砂川)である。

すると温羅はなんとキジに変身して空へと逃げます。
そこで吉備津彦命もすかさず 鷹へと化け、温羅を追いかけます。

追い詰められた温羅は、今度は鯉へと変わり川の中へと逃げますが、
吉備津彦命は、鯉の天敵である鵜(う)に身を変え、とうとう温羅を捕らえました。

この伝承は室町時代に成立したものとみられています。

矢喰神社 血吸川(砂川) 鯉喰神社
 遠方に鬼ノ城を望む  温羅神社  大吉備津彦命の墓




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