温羅伝説のゆかりの地です。 現地案内板によると、 「吉備の国平定(へいてい)のため吉備津彦命(きびつひこのみこと)が 来られたとき、この地方の賊、温羅(うら)が村人達を苦しめていた。 戦を行ったがなかなか勝負がつかない。 その時天より声がし、命がそれに従うと、温羅はついに矢尽き、 刀折れて、自分の血で染まった川へ鯉となって逃れた。 すぐ命は鵜となり、鯉に姿を変えた温羅をこの場所で捕食した。 それを祭るため村人達はここに鯉喰神社を建立した。」 とあります。 社殿は元禄14年(1701年)4月、天保13年(1842年)3月に造営し現在に至る。 |