創建年代は不詳。矢喰宮ともいう。
伝承によると、大吉備津彦命・吉備武彦命が温羅を討伐された時、温羅の防戦により苦戦がつづいた。
その時命が放たれた双矢の一矢が温羅の左眼に命中し、
一矢は温羅の投じた岩と喰い合うて落ちたという。
吉備津神社と鬼ノ城のちょうど中間地点にあり、吉備津彦命の矢と温羅の投げた巨岩が
ぶつかって落ちたという伝説が残る神社である。
境内にある巨大な花崗岩の岩は、その時温羅が投げ飛ばした岩で、
そのそばに生えていた竹は吉備津彦命の射た矢が根付いたものと言われています。
左側の砂川が血吸川である。当時このあたりは海であった。
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